blogにしてみたわけだが
コメントの「管理人のみ閲覧」の投稿は、私が読んだら削除することとします。
長文も書けるweb拍手みたいな。
そもそも、こんな機能があったなんて知らなかった(笑)
お返事書きにくいし。
そんなこっそりメッセージ、削除されてたら「ああ、読んでくれたんだな」とか思ってください。
さて、blogを始めてみて思ったことを書こうかとおもいますが、以下かなりグダグダした文なです。読まなくてもきっと人生損しません。
長文も書けるweb拍手みたいな。
そもそも、こんな機能があったなんて知らなかった(笑)
お返事書きにくいし。
そんなこっそりメッセージ、削除されてたら「ああ、読んでくれたんだな」とか思ってください。
さて、blogを始めてみて思ったことを書こうかとおもいますが、以下かなりグダグダした文なです。読まなくてもきっと人生損しません。
環境に左右されやすいたちなのか、なんとなく日記をつけるスタンスが変わってきたように思えます。うーーーーーん。前の形の日記のほうがよかったかなあ・・・とか思うこともしばしば。
blogってのはなんとも強力なツールですね。
それは「それのみで存在できる」極めて強い力。
いままでサイトにサブであったはずの日記が強い主張を始めて、それを自分が制御できていない感覚すら覚えます。
始めてみて自分におきた心理的変化は、いままで「記述する」という感覚だったものから、「語りたい」という感覚が強くせりあがってきたこと。
んんんんん、どうしたものか。
なんかこう、ぶわーーーーっと、アレもコレも「語りたい」気分でいっぱい。毎日の中で思ったこと感じたことを記述するのではなく、考えてきたこと思ってることを一つの形にする作業というかなんというか。
前も日記としてそういう部分はあったんだけど、どうもその時とは少々感覚が違う。
別に気にしないで、好きなようにやればいいんだろうけどなあ。考えすぎ?それとも変化にビビってる?思春期なんてとうに過ぎたというのに、ナニ悩んでるんだが。
一年以上前からblogにしようかとか思い続けてきたのに、なかなかふんぎれなかったのは、こういう変化を恐れていたからです。そんなことを考える人はあまりいないとは思うけど、自分はかんがえてしまう。
「ツールが変われば表現が変わる」
自分はそう思っています。
絵にしても、デジタルツールを使おうがアナログだろうが、しょせんツールにすぎない。何を描くかはその人次第。とはいうものの、ツールが変わればやはり変わる。
出来上がったものだけを見れば、他の人にも、そして自分ですら変化はわからないかもしれない。でも、確実に「描きあげる過程」のロジックが変わるのは間違いない。
「アンドゥ」があるだけでも大きく違うけど、ペイントツールとドローツールでは完成までの思考設計図が違ってくるし、イラストレーターの場合とFlashの場合もまた違う。
だから、今までの日記とblogにした場合もやはりなんか違う。
う~~ん。
ちょっといろいろ手を広げすぎたから思考が拡散して分裂ぎみなのかなあ。コミュニティツールも多すぎな気もするけど、それぞれ特性が違うからなあ。
おかげで、最近dAの方は完全放置状態。
気になると、やってみなくては気が済まないクセが仇になったか。
世の中にはなんか違うと思ったら、ずばっと削除したり、それこそサイトごと消したりする人も多いですが、どうも自分は積み上げてみたものそのものを消し去るのは苦手のようです。
そのわりには同じスタイルを長く続けると、ぶち壊して新しいことをやってみたい衝動も多い。結果、壊さずに別のものを積み上げてゆく形になっていっている。
となると、やはりそれが自分のスタイルというやつなんだろうか。だとしたらもうそれにつき合ってゆくしかないのかも。
世の中で一番謎なのは自分自身ですね。
なにしろ「観察」することが最も困難なのが自分であるから。
最近の心理学では、「おかしいから笑う」のではなく、「笑い顔」を自分が作っているから、他者の反応から察知して自分が笑っていることを知るから、それが「おかしい」ことだと脳が認知するのだと言われています。感情は心の中にあるものではなく、身体感覚と切り離せないものだと。完全に無意識のレベルなので顕在化せず、なかなかとらえどころがないことだけど。
経験をつむとパターン化して顕在化が単純でなくなるけど、小さい頃はそのあたりがムキ出しなので、子どもが小さいうちはちゃんと誰かがいっしょについていて可笑しい時にはいっしょにめいっぱい笑いましょう。
・・・・って、なんの話をしてるんだオレは~~~!!
混乱が極みに達したのでやめます。
blogってのはなんとも強力なツールですね。
それは「それのみで存在できる」極めて強い力。
いままでサイトにサブであったはずの日記が強い主張を始めて、それを自分が制御できていない感覚すら覚えます。
始めてみて自分におきた心理的変化は、いままで「記述する」という感覚だったものから、「語りたい」という感覚が強くせりあがってきたこと。
んんんんん、どうしたものか。
なんかこう、ぶわーーーーっと、アレもコレも「語りたい」気分でいっぱい。毎日の中で思ったこと感じたことを記述するのではなく、考えてきたこと思ってることを一つの形にする作業というかなんというか。
前も日記としてそういう部分はあったんだけど、どうもその時とは少々感覚が違う。
別に気にしないで、好きなようにやればいいんだろうけどなあ。考えすぎ?それとも変化にビビってる?思春期なんてとうに過ぎたというのに、ナニ悩んでるんだが。
一年以上前からblogにしようかとか思い続けてきたのに、なかなかふんぎれなかったのは、こういう変化を恐れていたからです。そんなことを考える人はあまりいないとは思うけど、自分はかんがえてしまう。
「ツールが変われば表現が変わる」
自分はそう思っています。
絵にしても、デジタルツールを使おうがアナログだろうが、しょせんツールにすぎない。何を描くかはその人次第。とはいうものの、ツールが変わればやはり変わる。
出来上がったものだけを見れば、他の人にも、そして自分ですら変化はわからないかもしれない。でも、確実に「描きあげる過程」のロジックが変わるのは間違いない。
「アンドゥ」があるだけでも大きく違うけど、ペイントツールとドローツールでは完成までの思考設計図が違ってくるし、イラストレーターの場合とFlashの場合もまた違う。
だから、今までの日記とblogにした場合もやはりなんか違う。
う~~ん。
ちょっといろいろ手を広げすぎたから思考が拡散して分裂ぎみなのかなあ。コミュニティツールも多すぎな気もするけど、それぞれ特性が違うからなあ。
おかげで、最近dAの方は完全放置状態。
気になると、やってみなくては気が済まないクセが仇になったか。
世の中にはなんか違うと思ったら、ずばっと削除したり、それこそサイトごと消したりする人も多いですが、どうも自分は積み上げてみたものそのものを消し去るのは苦手のようです。
そのわりには同じスタイルを長く続けると、ぶち壊して新しいことをやってみたい衝動も多い。結果、壊さずに別のものを積み上げてゆく形になっていっている。
となると、やはりそれが自分のスタイルというやつなんだろうか。だとしたらもうそれにつき合ってゆくしかないのかも。
世の中で一番謎なのは自分自身ですね。
なにしろ「観察」することが最も困難なのが自分であるから。
最近の心理学では、「おかしいから笑う」のではなく、「笑い顔」を自分が作っているから、他者の反応から察知して自分が笑っていることを知るから、それが「おかしい」ことだと脳が認知するのだと言われています。感情は心の中にあるものではなく、身体感覚と切り離せないものだと。完全に無意識のレベルなので顕在化せず、なかなかとらえどころがないことだけど。
経験をつむとパターン化して顕在化が単純でなくなるけど、小さい頃はそのあたりがムキ出しなので、子どもが小さいうちはちゃんと誰かがいっしょについていて可笑しい時にはいっしょにめいっぱい笑いましょう。
・・・・って、なんの話をしてるんだオレは~~~!!
混乱が極みに達したのでやめます。
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コメント
- boxman:使い勝手
- まあ、所詮ツールなんで、使う目的さえはっきりさせとけばいいんじゃないですかね。私は最近もともとの目的とミスフィット感が出てきたのと情報処理の利便性に問題感じてるのでちょっとネット環境全般考え直してるとこですが。FC2の場合画像やスタイルシート系のサービスが非常に便利なので、絵日記、マンガ日記のスタイルとかやりやすいですよね。
- スカポン太:お恥ずかしい
- ちょっとグダグダ書いてしまいましたが、すぐなれるかなとも。
ここは画像の扱いはいいですね。アップロードしてもファイルネームが変わらないのもよい感じです。