湯浅醤油テイスティング


また醤油を購入してしまった・・・
こちらはヤマジ湯浅醤油(小原久吉商店・和歌山)の「再仕込み醤油」。
紀州湯浅は日本の醤油の発祥地と言われてまして、この地の金山寺味噌の製造の際に樽底に溜まった液汁が醤油の始まりらしいです。たまり醤油に近かったんじゃないかと言われています。
だから、その後改良された現在の醤油とは違うものなんですが、醤油発祥の地としてのブランドとして「湯浅醤油」の名が使われています。
なので、湯浅醤油はここのメーカー以外でもいっぱいあるわけで、まあシャンパーニュ地方のシャンパンみたいなもんかなと(微妙に合ってるような合ってないような)
同じ和歌山の丸新本家の「金山寺たまり 九曜むらさき」はその初期の醤油を再現したものらしいですが。
まあそれはさておき、「湯浅醤油」ですよ。なにかにつけて耳にする「湯浅醤油」を一度味わってみたかったというのもありますが、さらに「さいしこみしょうゆ」てのも惹かれた要因です。
「再仕込み醤油」
通常の醤油は大豆と小麦でできた麹を食塩水で仕込むのですが、再仕込み醤油は食塩水のかわりに「醤油」で仕込む製法。ゆえに再仕込み。
天明年間(1781~1788年)に山口県(周防国)柳井で考案されたと言われ、藩主に献上したところ「甘露、甘露」と大喜びされたことから別名「甘露醤油」とも呼ばれる。
甘露っても甘いわけじゃなくて「うまい!うまい!」って意味でしょうね。
というわけで、中国・山陰では盛んに作られているんですが、高級醤油として今では他の地域でも作られてたりします。(キッコーマンも作ってる)
醤油を醤油で仕込むので、より濃厚な醤油ってことらしいのですが、たまり醤油とどう違うのかが気になってたんですよ。
というわけで、テイスティング。
色みは確かにちょっと濃いめ。しかし、真っ黒なたまり醤油ほどではないですな。
濃厚な香り・・・あれ?キッコーマン特選丸大豆醤油(濃口)の方が香りは強いような・・・
いや、違うかな。湯浅再仕込みの方はのったりとしてるというか、重いというか。
では味です。ペロリ。
・・・・うん、醤油。はて?あまり濃口と変わらないような・・・
少しこちらの方がとろっとしてますが、これもたまり醤油のどろりとした粘度ほどじゃない。
・・・ん、後味がなんか違う。少し苦みと甘みがあるというか。うーん表現が難しいな。コーヒー風にいえばほのかに香る甘みと深みって言うんでしょうか。
たまり醤油が「濃いなー」というなら、再仕込みは「コクがあるなー」って感じ?なんかビール風だな(笑)さしずめ濃口醤油は「キレがある」でしょうか。
うおっ!あれっ?うまい!
そのまま舐めるとそんなに違いがわからなかったけど、なにかにつけて食べると随分違うぞ。試しに寿司とおもちにつけて食べてみたんだけど、そうすると醤油の深みが凄く感じる。
ふーむ、なるほど。再仕込み醤油を一言で表すなら「深い」が一番しっくりくるかな。
濃口よりも塩気もまろい気もします。まろいつうよか、味わいのカドを削ってひとかたまりにしたようなつうか。あーほんと味の表現って難しいわ。
「再仕込み醤油っておっさんの味だよな」
年期を重ねた渋いおっさんみたいな。
ただ、他の醤油が同じカテゴリーでも全然味が違うように、これもまたメーカーが変われば味が全然違ったりするんだろうな。
かけ醤油ならいいけど、煮込みで使うにはバランスとるのに慣れつうかコツがいりそうな感じでもあるが。
そんな感じでした。

ところで湯浅醤油が「紀州(和歌山)」ってとこがちょっと気になるんですよ。
湯浅の醤油産業は江戸時代、藩の保護を受けてとても栄えていました。
藩といってもただの藩ではありません。紀州といえば御三家が一つ「紀州徳川藩」
それまで関西の下り醤油を使っていた関東が濃口醤油を開発し、ぐんぐん伸びていった時期が江戸時代の享保のころ。
さてこの時代の将軍といえば、紀州藩から将軍となった
江戸幕府第8代将軍徳川吉宗その人である
でででーででででー
このとき、吉宗は紀州から多くの人材をひきつれてきましたが、やはり紀州の漁民らを千葉に大量に入植させたりもしました。千葉と和歌山では同じ地名がいくつも存在するのもそのため(例えば「勝浦」とか)
つまりこの時、湯浅の醤油醸造技術もまた技術流入し千葉の醤油醸造技術を大きく引き上げたのではないかと。
まあもともと紀州(和歌山)と千葉は陸路だと遠いけど、海路だとすぐ近くなので、古くから交流はさかんだったようですが。

例えば千葉銚子の大手醤油企業ヤマサを創業した初代浜口儀兵衛は、紀州から千葉へ移り住んだ人でありました。
ヤマサのマークはもともと儀兵衛のキの字をとって「山笠にキ」で「ヤマキ」にするつもりだったようなんですが、それだと紀州徳川家の船印と似てることからキを横にして「ヤマサ」にしたんだとか。
そういえば湯浅がうすくち醤油を作り始めたのは近代になってからのようです。つまり湯浅は関東と同じ濃口醤油だったらしいと。
醤油の味の違いは西日本、東日本の違いではなく、
和歌山-千葉(関東)の濃口。近畿の薄口。九州-北陸-東北の甘口と、海路の違いでわけられるんじゃないかないだろうか。
もう一つ気になることといえば、吉宗の前の元禄のころは新井白石が「海舶互市新例」を発動していまして、この「海舶互市新例」というのは日本の金銀などの海外への流出を防ぐために長崎での貿易を縮小するというもの。海外輸入規制ですね。
この輸入品の中には「砂糖」もあって、当時日本は砂糖は海外からの輸入でした。
吉宗といえば砂糖の国産化事業。そうしなければいけなかった理由はおそらく海外輸入規制による深刻な砂糖不足でしょう。
今につながる醤油が形作られ発展していったこの時代に、日本では砂糖が不足していた(または極めて高価)というのは興味深い。あ、薩摩は密貿易やら黒砂糖栽培なんかで九州はたっぷり砂糖があったらしいっすよ。
このへん考察してゆくとえらく長くなるのでまたいずれかの機会に。
ところで、今回買ったヤマジ湯浅醤油。webサイトはあるのかなと覗いてみたんですが
ヤマジ湯浅醤油 小原久吉商店
ほほう、けっこうな老舗みたいだなぁ・・・と下の方へスクロールしてゆくと・・

あれ?萌えキャラみたいのが・・・
って!メイドカフェとか、みったんとか、ヤマジシスターズとかって!
\(^o^)/ 老舗の皮をかぶった萌え醤油店!
マスコットキャラはヤマジちゃん。和歌山みかんのみったんとか。
blogはたいへんなことになっとるし、近々萌え醤油も出るみたいだ(笑
調べてみるとヤマジシスターズってその手の人にはそれなりに有名みたいですね。全然知らんかったわwwww
やはり今、醤油は萌えか。(なんだこの結論
通常の醤油は大豆と小麦でできた麹を食塩水で仕込むのですが、再仕込み醤油は食塩水のかわりに「醤油」で仕込む製法。ゆえに再仕込み。
天明年間(1781~1788年)に山口県(周防国)柳井で考案されたと言われ、藩主に献上したところ「甘露、甘露」と大喜びされたことから別名「甘露醤油」とも呼ばれる。
甘露っても甘いわけじゃなくて「うまい!うまい!」って意味でしょうね。
というわけで、中国・山陰では盛んに作られているんですが、高級醤油として今では他の地域でも作られてたりします。(キッコーマンも作ってる)
醤油を醤油で仕込むので、より濃厚な醤油ってことらしいのですが、たまり醤油とどう違うのかが気になってたんですよ。
というわけで、テイスティング。
色みは確かにちょっと濃いめ。しかし、真っ黒なたまり醤油ほどではないですな。
濃厚な香り・・・あれ?キッコーマン特選丸大豆醤油(濃口)の方が香りは強いような・・・
いや、違うかな。湯浅再仕込みの方はのったりとしてるというか、重いというか。
では味です。ペロリ。
・・・・うん、醤油。はて?あまり濃口と変わらないような・・・
少しこちらの方がとろっとしてますが、これもたまり醤油のどろりとした粘度ほどじゃない。
・・・ん、後味がなんか違う。少し苦みと甘みがあるというか。うーん表現が難しいな。コーヒー風にいえばほのかに香る甘みと深みって言うんでしょうか。
たまり醤油が「濃いなー」というなら、再仕込みは「コクがあるなー」って感じ?なんかビール風だな(笑)さしずめ濃口醤油は「キレがある」でしょうか。
うおっ!あれっ?うまい!
そのまま舐めるとそんなに違いがわからなかったけど、なにかにつけて食べると随分違うぞ。試しに寿司とおもちにつけて食べてみたんだけど、そうすると醤油の深みが凄く感じる。
ふーむ、なるほど。再仕込み醤油を一言で表すなら「深い」が一番しっくりくるかな。
濃口よりも塩気もまろい気もします。まろいつうよか、味わいのカドを削ってひとかたまりにしたようなつうか。あーほんと味の表現って難しいわ。
「再仕込み醤油っておっさんの味だよな」
年期を重ねた渋いおっさんみたいな。
ただ、他の醤油が同じカテゴリーでも全然味が違うように、これもまたメーカーが変われば味が全然違ったりするんだろうな。
かけ醤油ならいいけど、煮込みで使うにはバランスとるのに慣れつうかコツがいりそうな感じでもあるが。
そんな感じでした。

ところで湯浅醤油が「紀州(和歌山)」ってとこがちょっと気になるんですよ。
湯浅の醤油産業は江戸時代、藩の保護を受けてとても栄えていました。
藩といってもただの藩ではありません。紀州といえば御三家が一つ「紀州徳川藩」
それまで関西の下り醤油を使っていた関東が濃口醤油を開発し、ぐんぐん伸びていった時期が江戸時代の享保のころ。
さてこの時代の将軍といえば、紀州藩から将軍となった
江戸幕府第8代将軍徳川吉宗その人である
でででーででででー
このとき、吉宗は紀州から多くの人材をひきつれてきましたが、やはり紀州の漁民らを千葉に大量に入植させたりもしました。千葉と和歌山では同じ地名がいくつも存在するのもそのため(例えば「勝浦」とか)
つまりこの時、湯浅の醤油醸造技術もまた技術流入し千葉の醤油醸造技術を大きく引き上げたのではないかと。
まあもともと紀州(和歌山)と千葉は陸路だと遠いけど、海路だとすぐ近くなので、古くから交流はさかんだったようですが。

例えば千葉銚子の大手醤油企業ヤマサを創業した初代浜口儀兵衛は、紀州から千葉へ移り住んだ人でありました。
ヤマサのマークはもともと儀兵衛のキの字をとって「山笠にキ」で「ヤマキ」にするつもりだったようなんですが、それだと紀州徳川家の船印と似てることからキを横にして「ヤマサ」にしたんだとか。
そういえば湯浅がうすくち醤油を作り始めたのは近代になってからのようです。つまり湯浅は関東と同じ濃口醤油だったらしいと。
醤油の味の違いは西日本、東日本の違いではなく、
和歌山-千葉(関東)の濃口。近畿の薄口。九州-北陸-東北の甘口と、海路の違いでわけられるんじゃないかないだろうか。
もう一つ気になることといえば、吉宗の前の元禄のころは新井白石が「海舶互市新例」を発動していまして、この「海舶互市新例」というのは日本の金銀などの海外への流出を防ぐために長崎での貿易を縮小するというもの。海外輸入規制ですね。
この輸入品の中には「砂糖」もあって、当時日本は砂糖は海外からの輸入でした。
吉宗といえば砂糖の国産化事業。そうしなければいけなかった理由はおそらく海外輸入規制による深刻な砂糖不足でしょう。
今につながる醤油が形作られ発展していったこの時代に、日本では砂糖が不足していた(または極めて高価)というのは興味深い。あ、薩摩は密貿易やら黒砂糖栽培なんかで九州はたっぷり砂糖があったらしいっすよ。
このへん考察してゆくとえらく長くなるのでまたいずれかの機会に。
ところで、今回買ったヤマジ湯浅醤油。webサイトはあるのかなと覗いてみたんですが
ヤマジ湯浅醤油 小原久吉商店
ほほう、けっこうな老舗みたいだなぁ・・・と下の方へスクロールしてゆくと・・

あれ?萌えキャラみたいのが・・・
って!メイドカフェとか、みったんとか、ヤマジシスターズとかって!
\(^o^)/ 老舗の皮をかぶった萌え醤油店!
マスコットキャラはヤマジちゃん。和歌山みかんのみったんとか。
blogはたいへんなことになっとるし、近々萌え醤油も出るみたいだ(笑
調べてみるとヤマジシスターズってその手の人にはそれなりに有名みたいですね。全然知らんかったわwwww
やはり今、醤油は萌えか。(なんだこの結論
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コメント
- もきち:
- ヤマジたんかわいいよ(*´Д`*) '`ァ,、ァ
かわいいディフォルメに和風の衣装、かなりツボです!
- スカポン太:
- ヤマジの本気ぷりが凄いです。
なにげにクオリティ高いし。そうか、参考にしよう!
- 爾百旧狸:
- やwwwまwwwじwwwww
緒形拳が「かわゆすなあ」とか言ってるようなもんですね。
荘厳な出だしからは想像つかないオチでした。
- スカポン太:
- 自分でも予想外のオチでしたわw