ヒーローの変遷を考える
BSプレミアムで映画「バットマン」一挙放送ということで、それに先駆けて「熱中スタジアム」でアメコミ・ヒーロー特集がくまれたわけですが、その放送後記がアップされました。
・第一夜 スパイダーマン・アイアンマン
・第二夜 スーパーマン・バットマン
ただ、アイアンマンには悪いけど、マーベルの2大ヒーロータイトルったらスパイダーマンとX-MENじゃないかなあ?
なんて思ったりもしたんですが、X-MENは群像劇で特定の個人ではないからややこしいことになりそうでアイアンマンになったのかも。
それより気になったのが「第二夜 スーパーマン・バットマン」のところで、「スーパーマンが超人すぎるからバットマンという普通の人間のヒーローを作った」というところ。
グリーンホーネットの立場は!?
まるでスーパーマンとバットマンしかいなかったように聞こえるけど、これはどうなのかなあ?
確かにバットマンよりスーパーマンの方がデビューは早いものの、あえて「スーパーパワーの無い普通の人間」として作られたわけじゃないと思う。
今でも「バットマンはスーパーヒーローかクライムファイターか?」なんて議論があるように、元々はクライムファイターとして始まったバットマン。いつしか、街の平和からアメリカの平和、そして地球の平和、宇宙の平和を守るように・・・とブレイブ&ボールドでボヤいていたように、スーパーヒーロー化していったけど、それはあくまで結果であって当初は違っていたと思う。
(その後80年代にビジランテのイメージが強くなってまたちょっとスーパーなヒーローとはイメージが変わっていったようだけど)
むしろ、スーパーマンの登場で「超能力をもった凄いヒーロー」の「スーパーヒーロー」ものが次々と生まれてジャンルとなっていったのであって、バットマンのようなタイプはその当時よくあったヒーロー像。
マスクをつけた西部劇ヒーロー「ローンレンジャー」もあったし、「怪傑ゾロ」「グリーンホーネット」などマスクをつけて正体を隠して悪をこらしめる「普通の人間」ヒーローたち。
バットマンもこの延長上の存在のはずだ。
バットマン:1939年
怪傑ゾロ:1919年
ローンレンジャー:1933年
グリーンホーネット:1936年
(参考までに)
鞍馬天狗:1924年
月光仮面:1958年
コミックスですでに人気があった「犯罪者たちと戦うヒーロー」たちは
タンタンの冒険:1929年
ディック・トレーシー:1931年
タンタンは事件記者、ディック・トレーシーは刑事。
(タンタンが記事を書いてるシーンは見た事無いけど)「事件」に関わる職業として「新聞記者」や「刑事」「探偵」などが多かった。
スーパーマンのクラーク・ケントもデイリープレネットの記者。
グリーンホーネットもデイリーセンチネル新聞社の社長。
スパイダーマンも一応は新聞社に出入りしているのでちょっと関わりがあるかな。
これらのヒーロー職業のうち、新聞記者設定は衰退しちゃった気がします。
そこで、1953年の007。
特に映画の「ロシアより愛をこめて(1963年)」のヒットあたりから「シークレットエージント」タイプのヒーローも増えてきた気がします。
「スパイ」に固定するわけでなく、いわゆる「秘密組織に所属するエージェント型ヒーロー」というか。
サンダーバード:1965年
スパイ大作戦:1966年
600万ドルの男:1973年
チャーリーズ・エンジェル:1976年
スーパーヒーローと融合する形で、日本でもこういう「秘密組織に所属するエージェント型ヒーロー」が出るようになり、それが定番化したように思えます。
マジンガーZ:1972年
秘密戦隊ゴレンジャー:1975年
科学忍者隊ガッチャマン:1978年
怪奇大作戦やウルトラQからウルトラマン(1966年)になった時に科学特捜隊が設定されたというのも、時代を反映しているのかも。
ガッチャマンは秘密組織の一員だったけど、組織を背景にもたない個人ヒーロー「キャシャーン」や「ヤッターマン」なんんかも作り続けたタツノコは、やっぱりアメコミぽかったんですかねえ。しみじみ。
もう一方で、悪に対抗する職業として忘れてはいけないのが「博士」
ファンタスティックフォー:1961年
超人ハルク:1962年
アイアンマン:1963年
FFのリード・リチャーズも博士だし、ハルクのブルース・バナーも博士。
アイアンマンのトニー・スタークはむしろスーパーエンジニアってイメージだけど、一応大学卒業しているので「博士」でもあると思う。
もうちょっとゆるく定義すれば「科学者」がスーパーヒーローになるパターンだ。
このへんは、バットマンたちの「犯罪者たちや犯罪事件に対応するヒーロー」というスタンスから、「スーパーな力を持つことを前提としたスーパーヒーロー」を初めから作り出そうというスタンスが強まっていった結果だと思う。
ヒーローがスーパーになると、悪も街の犯罪者から超能力をもつスーパーヴィランへと移り変わる。
スーパーなヒーローとスーパーな敵との戦いは、街の犯罪という現実から、現実とは無縁なスーパーな世界だけのおとぎ話的バトルになる危険性があり、かつて大人達も熱狂したローンレンジャーなどのヒーローものが、「スーパーヒーローものは荒唐無稽な子供向け」とされる要因であったのではないだろうか。
まあその考察はおいといて、「スーパーパワーをもつことが前提」となると、そんなあっと驚くスペシャルなパワーを生み出す存在が「博士(科学者)」なんでしょうな。
SFの隆盛や科学万能のイメージが背景にあったのだろう。そして超能力には理由が必要なのだ。
自分で戦う万能博士が70年代になると「戦闘要員(エージェント)」と「技術サポートの秘密組織」に分離するのは、万能博士にリアリティが無くなってきたあらわれだろうか。
X-MENは1963年から開始だけど、実際に人気が出始めたのは70年代後期あたりから。
こうして見てくるとX-MENはかなり特殊なヒーロー構造をしているのだけれども、「組織型」流行によってやっと時代が追いついた・・・ってことなのかも。
日米ともに似たような流行があったかに思えるけど、少しずつ日米でズレていった要素の一つに、日本の秘密組織は「様々な事件に対応する治安機関ではなく、特定の敵に対抗するための専門機関」であったことでしょうか。
縦割り行政ですね、わかります!
これにより、特定の敵を倒すと正義の秘密組織はその存在意義を失い、作品もそれで終了することとなる。
このパターンを作っちゃったことによって、クライマックスを迎えると続けることが困難になり次回作はヴィランもヒーローも一新する「続いてないけどシリーズ」になったのかしらん。
まあ、目標がハッキリしている分、クライマックスが盛り上がるのは確かなんですけどね。
このへんはリーグ戦よりトーナメント戦を好む日本人とか、モノポリーより人生ゲームが好きな日本人だとか、文化論までひっぱりだしてくるといろいろありそうだけど、このへんは大雑把な文化論ぽくてちょっとズレそうな気もするのよね。
鉄人28号やら、鉄腕アトム、エイトマンなどの頃は「様々な事件に対応」していて、アメコミなどと同じであったけれども、このあたりから日米でスタイルが分岐していったのかもしれません。
と、ここまで来て、再びバットマンに戻りますが、
ディック・トレーシーなどの路線はいわゆる「刑事もの」としてまっとうに続くわけですが、同じ事件解決ヒーローだったバットマンはDCコミックにいたせいで、いやおうなく「スーパーヒーロー」路線に組み込まれてしまい、あくまで結果として「超能力者だらけの中で普通の人間」というポジションになっただけだと思う。
(まあ、アメコミにはすっげー強い普通の人間はゴロゴロしてるんだけど)
それだけに逆にライターが腕をふるいやすく傑作も数多く生まれるのかなぁ。なんて思ったりも。
ただ、ブレイブ&ボールドを見ていても有象無象のヒーローたちが山ほどいて、様々なパターンがあり(アメコミにかかわらず日本もね)、必ずしもここであげたようなパターンに都合よく収まらないんですけどね。
特に、日本だと「00年代のヒーロー」とくくりやすいけど、アメコミは平気で大昔のヒーローが今に復活したりするからなあ・・・・
ええと例えば日本でも、70年代にヒーローが組織というバックボーンをもつ中で、個人で戦う孤独なヒーローといえば「仮面ライダー(1971年)」もあったりするわけで。
時代劇でいうとこの組織からはぐれた「渡世人」ぽくもあるんですが、むしろ、忍者ものでいう「抜け忍」に近いですね。
白土三平の「サスケ」のアニメは1968年か。
そんな感じで最初の仮面ライダーの戦いは正義のためというより、本質的には以前の組織から追われる自分を守る戦い。
ちょっとヒーローのスタンスは違っていても、これもまた追っ手である敵対組織が壊滅すれば脅威は去って、物語が終わる構造になっている。
サイボーグ009も同じ感じですねえ。
ただ、まだ初期だったのか、最初の敵が倒れても「次の敵」が現れて続くという形式にはなっていましたけど。
アメコミで、追われるヒーローとしては超人ハルクもそうだけど、ハルクは悪の組織ではなく国家権力に追われる。
当時流行っていた「逃亡者」の影響もあるんだろうけど、ハルクはヒーローというより、フランケンシュタインのモンスタータイプの世間から迫害される怪物みたいなもんでしょうか?
(今のハルクがどういうことになってるかはよく知らないんだけど、他のヒーローたちと違ってハルクは「治安維持のために戦うタイプ」ではないゆえに今でも微妙な位置になっていそう。)
こうして見てみると、ヒーローを追うより、ヒーローが打倒すべき敵の変化を追った方がより時代による変遷がわかりやすいのかもしれない。
ハルクの敵は「国家権力」だものなあ。
バットマンの変化より、ただのおもしろ怪人だったジョーカーがサイコ野郎になった変化の方が時代性を強くあらわしてる気がする。
ん・・・・ ヴィラン史観でのスーパーヒーロー史も面白しろそうだけど、ちょっとまとめきれない気がするので、このへんでやめときます。
というか、欲張りすぎてグダグダになった気がする。
自分で書いてて、「ん・・ちょっと違うかも」と思い始めてきたし。
別にバットマンは特別に「普通の人間」設定にしたわけじゃない、というとこでやめときゃよかった。
ところで、当時スーパーマンより人気があったシャザムことキャプテン・マーベルは魔法の力でスーパーヒーローになったんでしたっけ。
魔法もアメコミでのスーパーパワーの要素の一つだけど、スーパーマンの超人能力よりこっちの方がなんでもアリぽすぎて扱い難しいように思えます。
うまいことやってるのかなあ・・・・
・第一夜 スパイダーマン・アイアンマン
・第二夜 スーパーマン・バットマン
ただ、アイアンマンには悪いけど、マーベルの2大ヒーロータイトルったらスパイダーマンとX-MENじゃないかなあ?
なんて思ったりもしたんですが、X-MENは群像劇で特定の個人ではないからややこしいことになりそうでアイアンマンになったのかも。
それより気になったのが「第二夜 スーパーマン・バットマン」のところで、「スーパーマンが超人すぎるからバットマンという普通の人間のヒーローを作った」というところ。
グリーンホーネットの立場は!?
まるでスーパーマンとバットマンしかいなかったように聞こえるけど、これはどうなのかなあ?
確かにバットマンよりスーパーマンの方がデビューは早いものの、あえて「スーパーパワーの無い普通の人間」として作られたわけじゃないと思う。
今でも「バットマンはスーパーヒーローかクライムファイターか?」なんて議論があるように、元々はクライムファイターとして始まったバットマン。いつしか、街の平和からアメリカの平和、そして地球の平和、宇宙の平和を守るように・・・とブレイブ&ボールドでボヤいていたように、スーパーヒーロー化していったけど、それはあくまで結果であって当初は違っていたと思う。
(その後80年代にビジランテのイメージが強くなってまたちょっとスーパーなヒーローとはイメージが変わっていったようだけど)
むしろ、スーパーマンの登場で「超能力をもった凄いヒーロー」の「スーパーヒーロー」ものが次々と生まれてジャンルとなっていったのであって、バットマンのようなタイプはその当時よくあったヒーロー像。
マスクをつけた西部劇ヒーロー「ローンレンジャー」もあったし、「怪傑ゾロ」「グリーンホーネット」などマスクをつけて正体を隠して悪をこらしめる「普通の人間」ヒーローたち。
バットマンもこの延長上の存在のはずだ。
バットマン:1939年
怪傑ゾロ:1919年
ローンレンジャー:1933年
グリーンホーネット:1936年
(参考までに)
鞍馬天狗:1924年
月光仮面:1958年
コミックスですでに人気があった「犯罪者たちと戦うヒーロー」たちは
タンタンの冒険:1929年
ディック・トレーシー:1931年
タンタンは事件記者、ディック・トレーシーは刑事。
(タンタンが記事を書いてるシーンは見た事無いけど)「事件」に関わる職業として「新聞記者」や「刑事」「探偵」などが多かった。
スーパーマンのクラーク・ケントもデイリープレネットの記者。
グリーンホーネットもデイリーセンチネル新聞社の社長。
スパイダーマンも一応は新聞社に出入りしているのでちょっと関わりがあるかな。
これらのヒーロー職業のうち、新聞記者設定は衰退しちゃった気がします。
そこで、1953年の007。
特に映画の「ロシアより愛をこめて(1963年)」のヒットあたりから「シークレットエージント」タイプのヒーローも増えてきた気がします。
「スパイ」に固定するわけでなく、いわゆる「秘密組織に所属するエージェント型ヒーロー」というか。
サンダーバード:1965年
スパイ大作戦:1966年
600万ドルの男:1973年
チャーリーズ・エンジェル:1976年
スーパーヒーローと融合する形で、日本でもこういう「秘密組織に所属するエージェント型ヒーロー」が出るようになり、それが定番化したように思えます。
マジンガーZ:1972年
秘密戦隊ゴレンジャー:1975年
科学忍者隊ガッチャマン:1978年
怪奇大作戦やウルトラQからウルトラマン(1966年)になった時に科学特捜隊が設定されたというのも、時代を反映しているのかも。
ガッチャマンは秘密組織の一員だったけど、組織を背景にもたない個人ヒーロー「キャシャーン」や「ヤッターマン」なんんかも作り続けたタツノコは、やっぱりアメコミぽかったんですかねえ。しみじみ。
もう一方で、悪に対抗する職業として忘れてはいけないのが「博士」
ファンタスティックフォー:1961年
超人ハルク:1962年
アイアンマン:1963年
FFのリード・リチャーズも博士だし、ハルクのブルース・バナーも博士。
アイアンマンのトニー・スタークはむしろスーパーエンジニアってイメージだけど、一応大学卒業しているので「博士」でもあると思う。
もうちょっとゆるく定義すれば「科学者」がスーパーヒーローになるパターンだ。
このへんは、バットマンたちの「犯罪者たちや犯罪事件に対応するヒーロー」というスタンスから、「スーパーな力を持つことを前提としたスーパーヒーロー」を初めから作り出そうというスタンスが強まっていった結果だと思う。
ヒーローがスーパーになると、悪も街の犯罪者から超能力をもつスーパーヴィランへと移り変わる。
スーパーなヒーローとスーパーな敵との戦いは、街の犯罪という現実から、現実とは無縁なスーパーな世界だけのおとぎ話的バトルになる危険性があり、かつて大人達も熱狂したローンレンジャーなどのヒーローものが、「スーパーヒーローものは荒唐無稽な子供向け」とされる要因であったのではないだろうか。
まあその考察はおいといて、「スーパーパワーをもつことが前提」となると、そんなあっと驚くスペシャルなパワーを生み出す存在が「博士(科学者)」なんでしょうな。
SFの隆盛や科学万能のイメージが背景にあったのだろう。そして超能力には理由が必要なのだ。
自分で戦う万能博士が70年代になると「戦闘要員(エージェント)」と「技術サポートの秘密組織」に分離するのは、万能博士にリアリティが無くなってきたあらわれだろうか。
X-MENは1963年から開始だけど、実際に人気が出始めたのは70年代後期あたりから。
こうして見てくるとX-MENはかなり特殊なヒーロー構造をしているのだけれども、「組織型」流行によってやっと時代が追いついた・・・ってことなのかも。
日米ともに似たような流行があったかに思えるけど、少しずつ日米でズレていった要素の一つに、日本の秘密組織は「様々な事件に対応する治安機関ではなく、特定の敵に対抗するための専門機関」であったことでしょうか。
縦割り行政ですね、わかります!
これにより、特定の敵を倒すと正義の秘密組織はその存在意義を失い、作品もそれで終了することとなる。
このパターンを作っちゃったことによって、クライマックスを迎えると続けることが困難になり次回作はヴィランもヒーローも一新する「続いてないけどシリーズ」になったのかしらん。
まあ、目標がハッキリしている分、クライマックスが盛り上がるのは確かなんですけどね。
このへんはリーグ戦よりトーナメント戦を好む日本人とか、モノポリーより人生ゲームが好きな日本人だとか、文化論までひっぱりだしてくるといろいろありそうだけど、このへんは大雑把な文化論ぽくてちょっとズレそうな気もするのよね。
鉄人28号やら、鉄腕アトム、エイトマンなどの頃は「様々な事件に対応」していて、アメコミなどと同じであったけれども、このあたりから日米でスタイルが分岐していったのかもしれません。
と、ここまで来て、再びバットマンに戻りますが、
ディック・トレーシーなどの路線はいわゆる「刑事もの」としてまっとうに続くわけですが、同じ事件解決ヒーローだったバットマンはDCコミックにいたせいで、いやおうなく「スーパーヒーロー」路線に組み込まれてしまい、あくまで結果として「超能力者だらけの中で普通の人間」というポジションになっただけだと思う。
(まあ、アメコミにはすっげー強い普通の人間はゴロゴロしてるんだけど)
それだけに逆にライターが腕をふるいやすく傑作も数多く生まれるのかなぁ。なんて思ったりも。
ただ、ブレイブ&ボールドを見ていても有象無象のヒーローたちが山ほどいて、様々なパターンがあり(アメコミにかかわらず日本もね)、必ずしもここであげたようなパターンに都合よく収まらないんですけどね。
特に、日本だと「00年代のヒーロー」とくくりやすいけど、アメコミは平気で大昔のヒーローが今に復活したりするからなあ・・・・
ええと例えば日本でも、70年代にヒーローが組織というバックボーンをもつ中で、個人で戦う孤独なヒーローといえば「仮面ライダー(1971年)」もあったりするわけで。
時代劇でいうとこの組織からはぐれた「渡世人」ぽくもあるんですが、むしろ、忍者ものでいう「抜け忍」に近いですね。
白土三平の「サスケ」のアニメは1968年か。
そんな感じで最初の仮面ライダーの戦いは正義のためというより、本質的には以前の組織から追われる自分を守る戦い。
ちょっとヒーローのスタンスは違っていても、これもまた追っ手である敵対組織が壊滅すれば脅威は去って、物語が終わる構造になっている。
サイボーグ009も同じ感じですねえ。
ただ、まだ初期だったのか、最初の敵が倒れても「次の敵」が現れて続くという形式にはなっていましたけど。
アメコミで、追われるヒーローとしては超人ハルクもそうだけど、ハルクは悪の組織ではなく国家権力に追われる。
当時流行っていた「逃亡者」の影響もあるんだろうけど、ハルクはヒーローというより、フランケンシュタインのモンスタータイプの世間から迫害される怪物みたいなもんでしょうか?
(今のハルクがどういうことになってるかはよく知らないんだけど、他のヒーローたちと違ってハルクは「治安維持のために戦うタイプ」ではないゆえに今でも微妙な位置になっていそう。)
こうして見てみると、ヒーローを追うより、ヒーローが打倒すべき敵の変化を追った方がより時代による変遷がわかりやすいのかもしれない。
ハルクの敵は「国家権力」だものなあ。
バットマンの変化より、ただのおもしろ怪人だったジョーカーがサイコ野郎になった変化の方が時代性を強くあらわしてる気がする。
ん・・・・ ヴィラン史観でのスーパーヒーロー史も面白しろそうだけど、ちょっとまとめきれない気がするので、このへんでやめときます。
というか、欲張りすぎてグダグダになった気がする。
自分で書いてて、「ん・・ちょっと違うかも」と思い始めてきたし。
別にバットマンは特別に「普通の人間」設定にしたわけじゃない、というとこでやめときゃよかった。
ところで、当時スーパーマンより人気があったシャザムことキャプテン・マーベルは魔法の力でスーパーヒーローになったんでしたっけ。
魔法もアメコミでのスーパーパワーの要素の一つだけど、スーパーマンの超人能力よりこっちの方がなんでもアリぽすぎて扱い難しいように思えます。
うまいことやってるのかなあ・・・・
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コメント
- massando:
- >最初の仮面ライダー
企画時には恩師を殺害した容疑者として追われるというまさに「逃亡者」的な案もあったようで最初の数話に名残りがあります。
興味深いのは石ノ森章太郎の漫画版で「資産家の遺児」、「大邸宅の地下にある基地」、「協力する執事」とバットマンとの意識的な共通点が見られることです。
>抜け忍
ライダーのメインライターであった伊上勝さんのお得意のネタだったようですね。
- くろみつ:
- ハルクはベトナム戦争下で反軍事・反政権的な機運の中で学生達の間で人気を獲得していった…
とか、スタンおじいちゃんがインタビューで語っていました。
スパイダーマンやシャザムが記者なのも、別にスーパーマンが元ネタと言うワケでもなく、
元々そういうジャンルだった、という事なんでしょうね。 ちょっと目からウロコでした。
009原作が長く続いたのは、時々ネオブラックゴーストが出てくる程度で、
オカルトアンソロジー的な独立エピソードで続けていったのが大きいのかなーと思ったりも。
- おみそしる:
- Marvelの方は、Civil Warシリーズ以降の話が出てこなかったのは残念でしたが、
どちらかと言うと無難な内容でしたね。
でも、Marvrlの看板作品のひとつであるX-menの方が番組的に盛り上がった気もします。
DCの方は、BS映画の番宣として作成された番組のようなのでしょうがないのでしょうが、
映画版の設定をコミックの設定として持ちこんでる人が多かった気がします。
ここがかなり気になりましたね。
あと、バッツが性格が悪いみたいな言われ方をされたのが腑に落ちなかったですね。
バッツは無愛想だけど人に対する思いやりがあると思います。
それに対してスーパーマンは昔から完璧主義者と言うか、とっつきにくいというか、
ジャスティスリーグのシリーズやクロスオーバー作品を見てると
スーパーマンにイライラさせられることが多々ありますね。
- ベン弁:
- バットマンは完璧人間でスーパーマンは完璧がつかない超人ってのが僕の感想ですね。
何かすごいマニアックなネタ多かったけどカットされたって感じですね、ちなみに私が気になったのは「バットマンはロビンが大好き」と書かれていた紙を持っていた人が質問されてるのにそれに触れていないところしか喋ってなかったのが気になりましたね、呼ぶゲストはソフトバンクの外人さんはかまいませんがもう一人の人はいらなかったような気がします。
ヒーロー形態といえばスマステ等でも言ってましたが戦隊物はその時代のブームにちなんだヒーローものを作るそうですジュラシックパークが流行っていれば恐竜もの忍者が流行れば忍者ものトレンディードラマが流行ればスマステでもやってましたが最後がすごいあのトレンディードラマものw、ちなみに平成ライダーのスタンスは同じものはやらないようにして常に新しいものをやると言っていました。
- ビニールマン:
- 我が国でヤマトからはじまり、ガンダム、マクロス、銀英伝、星界、ガンパレ、戦ヴァルと続く「軍隊物」も、組織物の変形なんでしょうかねぇ?
(客が個人レベルの異能の力だけでなく、権力の後ろ盾や権力そのものまで欲しがりはじめたということなのかも)
…でも勇午とかデスノートとかカイジとか、「反権力の一匹狼物」も健在なんだよな
(サスケだけじゃなくゴルゴ13(1968年)も忘れないでください)
- S:
- バットマン関連の話題というだけですが。
『北米で10月発売予定の「Batman: Arkham City」では,バットマンの相棒“ロビン”でのプレイも可能に』
http://www.4gamer.net/games/117/G011756/20110622009/
悪そうなロビンだなあ。
- スカポン太:
- この放送は見てなかったので、感想きけたのはなによりです。
しかし、こういうネタは飲み会なのでダベりながらああでもないこうでもないと談話したいですね。
>massandoさん
そうなんですか。やはり時代性が反映されてたりするんですな。
地下基地や執事はやはりバットマンぽさがありますねえ。
>くろみつさん
ハルクは「理解されない自分」や「国こそが敵」みたいなムードが強く反映していそうですね。
他のこの時期の作品もそのあたりのムードがけっこうありそう。
X-MENも自分の居場所を探すストーリーだし、わかりやすい悪よりイデオロギーの対立みたいな部分も多いしね。
ただ、時代にうまくマッチして人気が出たから「残った」作品であって、スタンじいちゃんがこの時期乱発して消えて行った駄作たちも気になる・・・
009はそれでそれなりに長く続いたけど、その分敵がハッキリしなくて初期のいきおいは無くなった気がします。
>おみそしるさん
ども。まあ、X-MENやるならX-MENだけの方がやりやすそうですね。
映画中心になるのはしょうがないんですかねえ。
映画のバットマンもいいけど、他のバットマンを・・・という感じで、バットマン像やスーパーマン像は人によってかなり違うとこありそうです。
「バッツはスーパーマン対策にクリプトナイト持ち歩いてるんですよ~性格悪いよね」
「違うよ!あれはスーパーマン自らバットマンに渡してるんですよ!バッツは本当は・・」
とか、そういう熱い論議あったりしたら楽しそう。
>ベン弁さん
バットマンは精神力が超人なのですね!
やはりTVだといろいろカットされるんですかねえ。わかりませんが。
スマステの戦隊物特集は自分も見ました。
めいっぱい時代性反映してますよねえ。
あれができるのは1年単位で仕切り直す「繋がってないけどシリーズ」の構成ならではかもしれません。継続しないことの利点というか。
>ビニールマンさん
大きく見ればそういう気がします。
個人の大金持ちの資金力や、個人の天才的開発力はリアリティが無くなったということでしょう。
「すごい力」の説明にいかにリアリティを出すかの変遷とも。
おっと、ゴルゴもこの時代でしたっけ。
>Sさん
ロビンプレイも可能に!
しかもこのロビンはティムなんですね。
- C.ボロディン:
- やっぱり、スカポン太さんのブログは飽きないなあ。
自分は知識も文章力もまだまだなので基本的に傍観ですがw
キャプテンアメリカ(1941)みたいな戦前からいる反ナチのヒーローは、
50年代のエージェントヒーローの基盤・・・とかになりませんかね?
- がちお:
- 僕はこの番組で「バットマンが性格悪い」って言われたときにあげられたのが「HUSH」での子供に対して黙れ!っていうぐらいじゃ生ぬるいと思いました。
バットマンのせいでトラブルが起きたっていうエピソードは結構ありますし。
ただこの番組でスーパーマンに関しては「ボーイスカウト的正義」っていわれたのが妙に腑に落ちました。
ボーイスカウト・ボランティア的な社会奉仕活動なんですよ、スーパーマンは。
- スカポン太:
- >C.ボロディンさん
キャップも「軍のエージェント」という立ち位置でしたね。
最初から「敵対する存在」が決められて生まれて来たヒーローなだけに、その後の敵を無くしたヒーローの復活はいろいろ興味あります。
>がちおさん
あははは、そういう例えで出た言葉だったんですか。>バッツ性格悪い
スーパーマン=ボーイスカウトはいいですよね。これには私もうなずきました。
バッツはやはり都会の正義。・・・なのかな?
- 帰まん:
- 小生この番組みなかったからあんまり偉そうなこといえないんですが、ネット上での意見を見ると結構ヌルい番組だったみたいですね・・・定期的にやる『感動の懐かしアニメ特集』みたいなもんでしょうかね…いつもハイジとかフランダースとか流して芸能人がウソ泣きして終わるアレ…大衆ウケねらうとどうしたって物足りないのができちゃうのはわかるんですが・・・
- スカポン太:
- 自分も見てないのでどうこう言えませんが、TV番組としてはそういう作りになっちゃうもんじゃないですかねえ。
まあ、自分としては何も無いより、いいかなと思ったりもしますけど。
次は「カートゥーン」で!