でも日本人は自信がない(否)
>スカポン太さんに見せたら、おもしろいと思ってくれるかな、くれないかなという微妙な記事を見つけました。by でぱぞー
>「最もクリエイティブな国・都市」は日本・東京 でも日本人は自信がない──Adobe調査 - ITmedia ニュース
>「最もクリエイティブな国に選ばれた」日本は、本当にクリエイティブか?:日経ビジネスオンライン
ども。なかなか興味深かったですよ。
ちょっと遅くなったので、下の記事は後半読めなくなっちゃいましたけど。
自分がこれを読んで思ったのは「日本人は自信がない」わけではなく、「自信満々に発言する事はよくないこと」と思ってる、ということじゃないかということです。
ということを色々と考えてたら長くなっちゃったので、遅くなりました。カートゥーンとも関係ないしね。
以下長文。
やっぱり自薦トップはアメリカでしたが、これは自信があるというより、小学校の頃からプレゼン慣れしていて自己ピーアルするのに抵抗が無いゆえじゃないかと。
日本人は、「自分が何ができるか/自分はどこが優れているか」をアピールするのは苦手。
というより、そういう人は嫌われるゆえに、あまり言いたがらない。
ゆえに、日本でもみんな心の中では「日本すげえ」と思っているだろうけど、こういう質問されると「いや、そんなことないですよ」という答えに傾くって話じゃないかと。
日本人が好むのは自薦ではなく他薦。
海外からの「日本すげえ!」って記事はみんな大好きですよね。
海外から「クールジャパン」と言われ始めたときは喜んで、自国が「クールジャパン」と言いだすと、とたんに批判的になるというか。
しかし、それよりも大きいのは「クリエイティブ」という言葉への認識の違いかなと。
これは上記二つ目の記事でも書かれていましたが、あれは正直よくわかりませんでした。
自分が思うに、日本人にとって「クリエイティブ/創造性」みたいな感覚は、すごくハードル高いとこに設定してあるんじゃないかと。
言葉を置き換えて、「アート/芸術」とでもしましょう。
海外ではアートのハードルはものすごく低い。
例えば、でぱぞーさんがパワパフZの絵を描いたとしましょう。そう、それはファンアート。
これを、「二次創作芸術」と言ってそれを「芸術」だといい、自分は芸術家だと言うには抵抗あるんじゃないでしょうか。
でも、言葉はまぎれもなく「アート」であり、そして描き手は「アーチスト」です。
そのくらいアートの位置は低い。
漫画家はコミックアーチスト。
アニメのコンテ描きはストーリーボードアーチスト。
日本ではおそらく、漫画家は自分は「アーチスト」、「漫画芸術家」であるなんて言わないし、思っていないかと。
むしろ、アーチストなんて名のるものを鼻で笑うかもしれない。「アーチスト様(笑)」
クリエイティブも同様。オリキャラの一つでも作ればそれはクリエイティブだし、クリエイター。
クリエイティブもやはり意味はずっと低い。
しかしやはり、自称クリエイターなんていいだせば、同様に「クリエイター様(笑)」扱いです。
このニュアンスの違いがある以上、「クリエイティブか」なんて質問されて「はい」と答えるには、日本人にとっては激しく難易度が高いと言わざるおえない。
ちょっと「アート」の話にズレるんですが・・・
海外、というより特にアメリカの「アートフェア」と、日本の「展覧会」の違いと言えば、価値を誰が決めるかという部分が大きいですね。
日本のアートの展覧会といえば公募型、コンテストスタイルが多いかと。
入選だとか特賞など、「識者が価値を決める」スタイル。
アートフェアではアート作品の売買が行われ、その後のオークション市場での価格が作品価値に大きく影響します。
つまり、アートの価値は美術識者ではなくマーケットが決める。
「コンテンポラリーアート」は「現代芸術」と訳されていますが、何が「現代」かといえば、昔は王侯貴族などがその価値を決めていたのに対して、現代は市民が価値を決めるところにあります。
・・・と定義しちゃうのは乱暴ですが、作品内容ではなくシステム的視点でみると、そこが大きな違いじゃないかと。
コンテンポラリーアートがアメリカで発達した背景はそれだと思っています。
(富裕層がメインではありますが、それは結果であって価値を付けるのに資格や身分は関係ない)
だから日本の芸術家は求道者的な部分が求められますが、アメリカのコンテンポラリーアーチストなどは市場の流行や需要を分析して戦略的にアートを「生産」したりする人も多いです。
なぜなら価値を決めるのは市場であるから。
それが「プロのアーチスト」。
日本で同じようなことすると、多分「そんなのは芸術じゃない」「邪道」「儲け主義」とか言われそうです。
海外の著名アート投稿サイト「deviantART」
ここではPixivと違い、サイト上にアートのShopが存在し、ユーザー間でのコミッションなどもよく行われていたりも。
アートにおける金銭感覚の違いはこういうところにもあらわれているように思えるのです。
だから日本だとデザインフェスタなんかが、アメリカのアートフェアの感じに近いですかね。コミケでもいいです。
価値は買い手が決めるものだし、
転売目的の買い手も存在し(後でオークションで売るため。経済用語的にきれいな言い方すれば投機)、
アーチストは自分の求めるものをやり続ける人もいれば、
流行のジャンルに鞍替えするもいる。
コンテンポラリーアートの世界では「コンテクスト」ていう言葉がよく使われ、これは「文脈」と言う風に訳されて「アートの文脈」うんうんと語られたりします。
これは、ぶっちゃければ「お約束」とか「元ネタ」とかいう感じですよ。
例えばトランスフォーマーアート界というのがあったとしましょう。
そこで女体化したコンボイが出て来て「私にいい考えがある」と言う。
この場合、女体化がオリジナリティの部分で、「いい考え」が「コンテクスト」です。
こういうコンテクストをふまえたうえで「wwwマジウケル」となって売れれば、それがアートの価値です。
・・・すいません。あまりいい例えじゃなかった。
東方があって、それの二次創作が作られ、その中からへんなAA「ゆっくりしていってね!」が現れ、バリエーションが増え、SofTalkの音声合成でゆっくり声というスタイルが生まれ、それによる「ゆっくり実況」が登場し、人気のゆっくりゲーム実況動画が登場。
この流れが「コンテクスト」。
コンテンポラリーアートでは市場が価値を決めるので、作品のすばらしさは識者では決定できません。
できるのは、このくらい素晴らしいんだよと推薦することくらいです。
ゆえに、そのために「これこれこういう流れの中でこういう斬新な手法を導入し・・」と説明補強するためにコンテクストが必要とされます。
なのでコンテンポラリーアートの世界では「コンテクスト」重要視されると。
実際はこんな単純というかショボくないですが、ぶっちゃければそんなもんです。
だから、コンテクストを知らない人がその作品単体だけを見て「なにが素晴らしいのかさっぱりわからん」となるのもよくある話。
そして、それがコンテンポラリーアート/現代芸術のよくわからない部分。
「スーパーロボット」というコンテクストがあって「機動戦士ガンダム」が特異たりえたように。
「魔法少女」というコンテクストを踏まえたうえでないと、「まどか☆マギカ」の評価が難しいように。
なんか途中からアート論になっちゃいましたが、要するにアートもクリエイティブも、雲の上の特別なものでは無いということで。
だから、あの質問も「クリエイティブか?」なんて聞かないで、「趣味でもいいから絵とか描いてる人が多そうな国(都市)ってどこ?」って聞けば結果も違うだろうし、日本人も「そーいや看板やPOPにすらキャラとかあふれてるよなー」ってことで「はい/日本」と答えたりするんじゃなかろうか。
「自信」とは関係ない。
海外から見た日本への評価の結果もそれで納得いくかと。
「東京ってヘンなものいっぱいあるよね(クリエイティブだよね)」という話。
>「最もクリエイティブな国・都市」は日本・東京 でも日本人は自信がない──Adobe調査 - ITmedia ニュース
>「最もクリエイティブな国に選ばれた」日本は、本当にクリエイティブか?:日経ビジネスオンライン
ども。なかなか興味深かったですよ。
ちょっと遅くなったので、下の記事は後半読めなくなっちゃいましたけど。
自分がこれを読んで思ったのは「日本人は自信がない」わけではなく、「自信満々に発言する事はよくないこと」と思ってる、ということじゃないかということです。
ということを色々と考えてたら長くなっちゃったので、遅くなりました。カートゥーンとも関係ないしね。
以下長文。
やっぱり自薦トップはアメリカでしたが、これは自信があるというより、小学校の頃からプレゼン慣れしていて自己ピーアルするのに抵抗が無いゆえじゃないかと。
日本人は、「自分が何ができるか/自分はどこが優れているか」をアピールするのは苦手。
というより、そういう人は嫌われるゆえに、あまり言いたがらない。
ゆえに、日本でもみんな心の中では「日本すげえ」と思っているだろうけど、こういう質問されると「いや、そんなことないですよ」という答えに傾くって話じゃないかと。
日本人が好むのは自薦ではなく他薦。
海外からの「日本すげえ!」って記事はみんな大好きですよね。
海外から「クールジャパン」と言われ始めたときは喜んで、自国が「クールジャパン」と言いだすと、とたんに批判的になるというか。
しかし、それよりも大きいのは「クリエイティブ」という言葉への認識の違いかなと。
これは上記二つ目の記事でも書かれていましたが、あれは正直よくわかりませんでした。
自分が思うに、日本人にとって「クリエイティブ/創造性」みたいな感覚は、すごくハードル高いとこに設定してあるんじゃないかと。
言葉を置き換えて、「アート/芸術」とでもしましょう。
海外ではアートのハードルはものすごく低い。
例えば、でぱぞーさんがパワパフZの絵を描いたとしましょう。そう、それはファンアート。
これを、「二次創作芸術」と言ってそれを「芸術」だといい、自分は芸術家だと言うには抵抗あるんじゃないでしょうか。
でも、言葉はまぎれもなく「アート」であり、そして描き手は「アーチスト」です。
そのくらいアートの位置は低い。
漫画家はコミックアーチスト。
アニメのコンテ描きはストーリーボードアーチスト。
日本ではおそらく、漫画家は自分は「アーチスト」、「漫画芸術家」であるなんて言わないし、思っていないかと。
むしろ、アーチストなんて名のるものを鼻で笑うかもしれない。「アーチスト様(笑)」
クリエイティブも同様。オリキャラの一つでも作ればそれはクリエイティブだし、クリエイター。
クリエイティブもやはり意味はずっと低い。
しかしやはり、自称クリエイターなんていいだせば、同様に「クリエイター様(笑)」扱いです。
このニュアンスの違いがある以上、「クリエイティブか」なんて質問されて「はい」と答えるには、日本人にとっては激しく難易度が高いと言わざるおえない。
ちょっと「アート」の話にズレるんですが・・・
海外、というより特にアメリカの「アートフェア」と、日本の「展覧会」の違いと言えば、価値を誰が決めるかという部分が大きいですね。
日本のアートの展覧会といえば公募型、コンテストスタイルが多いかと。
入選だとか特賞など、「識者が価値を決める」スタイル。
アートフェアではアート作品の売買が行われ、その後のオークション市場での価格が作品価値に大きく影響します。
つまり、アートの価値は美術識者ではなくマーケットが決める。
「コンテンポラリーアート」は「現代芸術」と訳されていますが、何が「現代」かといえば、昔は王侯貴族などがその価値を決めていたのに対して、現代は市民が価値を決めるところにあります。
・・・と定義しちゃうのは乱暴ですが、作品内容ではなくシステム的視点でみると、そこが大きな違いじゃないかと。
コンテンポラリーアートがアメリカで発達した背景はそれだと思っています。
(富裕層がメインではありますが、それは結果であって価値を付けるのに資格や身分は関係ない)
だから日本の芸術家は求道者的な部分が求められますが、アメリカのコンテンポラリーアーチストなどは市場の流行や需要を分析して戦略的にアートを「生産」したりする人も多いです。
なぜなら価値を決めるのは市場であるから。
それが「プロのアーチスト」。
日本で同じようなことすると、多分「そんなのは芸術じゃない」「邪道」「儲け主義」とか言われそうです。
海外の著名アート投稿サイト「deviantART」
ここではPixivと違い、サイト上にアートのShopが存在し、ユーザー間でのコミッションなどもよく行われていたりも。
アートにおける金銭感覚の違いはこういうところにもあらわれているように思えるのです。
だから日本だとデザインフェスタなんかが、アメリカのアートフェアの感じに近いですかね。コミケでもいいです。
価値は買い手が決めるものだし、
転売目的の買い手も存在し(後でオークションで売るため。経済用語的にきれいな言い方すれば投機)、
アーチストは自分の求めるものをやり続ける人もいれば、
流行のジャンルに鞍替えするもいる。
コンテンポラリーアートの世界では「コンテクスト」ていう言葉がよく使われ、これは「文脈」と言う風に訳されて「アートの文脈」うんうんと語られたりします。
これは、ぶっちゃければ「お約束」とか「元ネタ」とかいう感じですよ。
例えばトランスフォーマーアート界というのがあったとしましょう。
そこで女体化したコンボイが出て来て「私にいい考えがある」と言う。
この場合、女体化がオリジナリティの部分で、「いい考え」が「コンテクスト」です。
こういうコンテクストをふまえたうえで「wwwマジウケル」となって売れれば、それがアートの価値です。
・・・すいません。あまりいい例えじゃなかった。
東方があって、それの二次創作が作られ、その中からへんなAA「ゆっくりしていってね!」が現れ、バリエーションが増え、SofTalkの音声合成でゆっくり声というスタイルが生まれ、それによる「ゆっくり実況」が登場し、人気のゆっくりゲーム実況動画が登場。
この流れが「コンテクスト」。
コンテンポラリーアートでは市場が価値を決めるので、作品のすばらしさは識者では決定できません。
できるのは、このくらい素晴らしいんだよと推薦することくらいです。
ゆえに、そのために「これこれこういう流れの中でこういう斬新な手法を導入し・・」と説明補強するためにコンテクストが必要とされます。
なのでコンテンポラリーアートの世界では「コンテクスト」重要視されると。
実際はこんな単純というかショボくないですが、ぶっちゃければそんなもんです。
だから、コンテクストを知らない人がその作品単体だけを見て「なにが素晴らしいのかさっぱりわからん」となるのもよくある話。
そして、それがコンテンポラリーアート/現代芸術のよくわからない部分。
「スーパーロボット」というコンテクストがあって「機動戦士ガンダム」が特異たりえたように。
「魔法少女」というコンテクストを踏まえたうえでないと、「まどか☆マギカ」の評価が難しいように。
なんか途中からアート論になっちゃいましたが、要するにアートもクリエイティブも、雲の上の特別なものでは無いということで。
だから、あの質問も「クリエイティブか?」なんて聞かないで、「趣味でもいいから絵とか描いてる人が多そうな国(都市)ってどこ?」って聞けば結果も違うだろうし、日本人も「そーいや看板やPOPにすらキャラとかあふれてるよなー」ってことで「はい/日本」と答えたりするんじゃなかろうか。
「自信」とは関係ない。
海外から見た日本への評価の結果もそれで納得いくかと。
「東京ってヘンなものいっぱいあるよね(クリエイティブだよね)」という話。
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コメント
- kazi:
- 外側はずがしや内側クリエイティブな日本人の価値観は自分も共感できます
アートの話で思ったけど日本では横文字単語カッコイイって雰囲気がありますね
技術→テクノロジー 背負える→マウントできる 両○具有→アンドロジェネシス
やっぱ高尚ぽっく聞こえて敷居が高いのでしょうか?
- 帰まん:
- 自分がこれを読んで思ったのは「日本人は自信がない」わけではなく、「自信満々に発言する事はよくないこと」と思ってる、ということじゃないかということです。
よく聞くのが「つまらないものですけど」っていってプレゼントを差し出すと外人は「なんでつまらないものなんて贈るんだ?」って感じるってたとえ話ですが・・・謙虚を美徳とする風潮が・・・まあ割とどこの国もそうなんでしょうけど、国ごとによしとされる謙虚のベクトルや裁量が違うだけなんじゃないかと個人的には思ってます。
- スカポン太:
- >kaziさん
「外側はずがしや内側クリエイティブ」っていいね。
外国語を使うと、日常会話ですりきれてない分「ちょっと特別」感があがるのは、日本に限ったことではないと思います。でも、カタカナという言語によって、容易に導入しやすい日本だと、その傾向はより強まる感じはあるかも。
この場合、アートは逆な感じはありましたけどね。「アート」より「芸術」の方が高尚な感じが
>帰まんさん
京都で「お茶漬けいかがですか」と聞かれたら「帰れ」という意味。みたいなものかーーー!!
(ちょっと違う)
むしろ「前向きに検討いたいます」=「しません」